僕の写真遍歴1 – 幼少時代

だれでもそうだと思いますが、幼少時代は写真は撮るものではなく撮られるものでした。

なので、はじめてカメラを触ったときはちょっと大人の世界に足を踏み入れるようなドキドキ感があったのをかすかに覚えています。

色鉛筆ではありません
2009/01/18 銀座
PENTAX SuperA | smc-M50/1.7 | FUJIFILM Superia X-TRA 400


初めてカメラを触った日

母方の祖父はラジカセやカメラなどいろんなものを持っていました。すぐ近所に住んでいたためよく遊びに行っていたのですが、「これはこういう便利なものだ」とよく見せてくれました。今考えると、祖父も使いこなしているというよりは、所有して満足していたのではないかと思います。ただ、よく海外旅行に行っていたのでカメラはかなり使っていたようです。

僕が初めて写真を撮ったのは小学生の時です。祖父が持っていたOLYMPUS XA(正確にはそのシリーズのXA2ではないかと思う)というカメラで撮影しました。このカメラはいわゆるバカ○ョンカメラのハシリで、外装がプラスチックで色が黒と赤の二色から選べる(調べてみたら青とかグレーもあったらしい)という、当時としては非常に画期的なカメラでした。当時はまだ金属製で銀色のカメラが主流で、写真は「いろいろ調節しないといけない面倒くさいもの、機械にくわしくないとちゃんと撮れないもの」だったのですが、このXAあたりから気軽にオシャレに持ち歩けるものに変化したのではないかと思います。子供の頃にも「かっちょいいカメラ」という印象がありました。

まず、祖父がフィルムの入れ方を教えてくれました。見た目は今の簡単コンパクトカメラに近いですが、まだ手巻きの時代ですからフイルムは入れるだけじゃダメで、挟み込んでふたをして、3回シャッターを切って、たるみを取るために巻き戻す、という一眼レフと同じ基本操作が必要です。子供心に「たるみをとるために巻き戻したらせっかく出したフィルムが中に入ってしまうのではないか」と不安になったのを覚えています。

snap_mott_20092223367.png

そのカメラはフェザータッチの赤いシャッターボタンがついていて、これを軽く押すだけでシャッターが切れます。その時何を撮ったのかは覚えていませんが、軽い「カシッ」という音がしてシャッターが切れました。おそらく祖父が写っていたか、壁が写っていたか、いずれにしてもブレててまともな写真じゃなかっただろうと思います。

一度使い方を覚えたので、花見や運動会など祖父がカメラを持ってきているときはときどきシャッターを押していた記憶があります。ただ、自分が撮った写真がちゃんと撮れていたのかどうはあまり気にしていなかったようです。撮る行為だけで満足していたと思います。
僕の実家にはコンパクトカメラがなかったため、この祖父のカメラは家族行事のと際にはよく借りに行ってて、そのうちいつもうちに置いてあるカメラになりました。今でもその見かけによらずずっしり重いボディや、はがれかけた塗装、微妙なザラザラ感のあるソフトケースなどの感触はよく覚えています。OLYMPUS XAは中古市場でも人気らしく、今でもよく店頭で見かけます。今でも十分使える、いいカメラだと思います。

時代背景

ここに書いたのは1970年代の末期~80年代初頭の話です。子供の頃の記憶というはあやふやなところがあって本当に自分の記憶なのか、あとで植え付けられた情報なのかあいまいなところがありますが、僕はこの時期(小学校3~4年)以降の記憶はかなりはっきりしていて、それの記憶が実際に自分の経験したものであって、その記憶の中の自分が間違いなく今の自分とつながっていると実感できます。

70年代末というのは、文化的には70年代ではなく、良くも悪くも80年代なのだと思います。僕の印象では70年代はセピア色、80年代はカラフルでポップ。そして70年代末期というのは間違いなく後者です。なにしろ80年代の象徴であるYMOやガンダムがフライング気味に登場したのがこの70年代末期。いろんなものの価値観が変化していた時代。スタイリッシュでカラフルなカメラも、そして僕の自我も、こういう時代背景の中で生まれでてきたものなのでしょう。そういう意味では僕は70年代を経験していないのかもしれません。

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