僕の写真遍歴4 – 大学時代

大学時代はずいぶん前のことのような気もするし、つい最近のことのような気もします。自分では大学生のときと今で自分が何か変わったとも思わないし、そもそも大学は卒業していないので気分的にはまだ大学生がつづいているのかもしれません

銀座スナップ
2009/01/18 有楽町
PENTAX SuperA | smc-M50/1.7 | FUJIFILM Superia X-TRA 400


大学に入ると、不思議なことにパタッと写真への興味はなくなってしまいました。

大学にも写真部はありましたが入部するなんてことは全く考えたこともありませんでした。写真部の友人はいましたが、彼と話すのはたいてい「今日の学食は何がうまかったか」とか、「大学当局の昨今の動き」とか、「冷戦後の社会主義について」とかだいたいそんなことで、考えてみたら写真の話をしたことは一度もなかったと思います。

ただ、ある知り合いの建築科の女の子がEOS630という三代目EOSを持っているのをみて羨ましく思ったことは覚えています。高校時代にはみんながほしかったけど誰も持っていなかったEOS。さすがに大学生になるとバイトで稼いで買う人も出てきます。

僕も大学時代はバイト三昧でした。ピーク時には家庭教師を4件やっていて、同じ日にかぶっていると2件ハシゴしたりしていました。入学当初は実家から大学に通っていましたが、途中から一人暮らしを始めたため、お金はいろいろと必要になったのです。

ピースボートに乗る

そんな大学生になって二度目の秋、僕はピースボートの「地球一周の船旅」に参加しました。当時のピースボートはほぼ無名で、「地球一周の船旅」も初の試みということで参加するのは期待と不安でいっぱいでした。

その地球一周に持っていったカメラは中学編に書いた父のアサヒペンタックスSP、それから幼少編に書いたOLYMPUS XA2。中学生当時はおそるおそる触るのが精一杯で何がなんだかわからなかったペンタックスSPも、高校写真部を経たあとではすべてのダイアルの意味が理解できていましたので何の不安もなく撮影できる自信がありました。

この地球一周の内容は話すと長いのでここでは省略しますが、結論から言うと写真はほとんどとりませんでした。たしかSPで2本とXA2で1本の合計3本だったと思います。もちろん撮ろうと思えば撮るものはいくらでもありましたし、フィルムはどこでも買えるので節約する理由もありませんでした。ただ、もともと記念写真を撮る習慣がなかったことと、写真を撮ることへの興味そのものが少なくなっていたこと、そして貴重な体験の中で「写真に撮る時間があったらもっと見ていたい」とか「写真よりは記憶の中に残しておきたい」という気持ちが大きくなったことがあり、意識的に写真を撮らずに過ごしていました。ただ、なぜかカメラは常に携帯していましたので、何かの拍子に撮った写真が数十枚はあった、ということです。

それから忘れもしない、ニカラグアのチナンデガという街でSPを落っことしてしまい、尖っているペンタ部を思いっきりコンクリートに叩きつけて凹ませてしまいました。今のカメラならそんなことがあれば再起不能になるのですが、そのSPはその後もとくに問題なく動いていました。

で、その3本のフィルムですが、2~3年現像しないまま放置し、その後何かのついでに現像。そして一度見たっきりどこかに行ってしまいました。

ついに自分でカメラを買う

日本に帰ってきてからしばらくして、近くの質やで売りに出されていたEOS10QDを購入しました。28-70mmのTokinaのズームと70-200mmのSIGMAのズームがついて6万円くらいだったと思います。念願のEOSであり、念願の自分で買ったカメラ、です。このEOS10QDというカメラは、初期EOS600番台シリーズの後に出てきた、今のEOSの直系の先祖にあたります。この頃からEOSはEOS1、EOS10(2桁)、EOS1000(Kiss)のようなフルラインナップになり、それは現在までつづきます。

20090209_sr0010796.jpg

↑EOS10QD。当時買った実物。望遠レンズはもう動かないけど、ボディはちゃんと動きます。

このカメラ買ったはいいのですが、この当時、ほとんど使っていません。何しろ写真への興味はなくなったまま、ただ「かつて欲しかったカメラが、すごくお買い得な金額で売っていた」から買っただけなのです。こいつが活躍するのは数年後のことです。その話は次回。次回も一応大学在学中なのですが、一般的に言う「大学時代」はここまでです。

時代背景

僕の大学時代というのは平成元年からはじまります。昭和64年度共通一次試験の願書を出し、平成元年度の試験を受けました。翌年からは共通一次試験は廃止されセンター試験と呼ばれるようになりました。在学中にベルリンの壁が崩壊して、湾岸戦争が勃発して、ソ連が崩壊して、バブルが崩壊しました。
パソコンや携帯電話はかろうじて存在しましたが今ほど一般的ではなく、Windowsもインターネットもない時代です。インターネットがないのでブログやmixi、2chなどはもちろん、メールすらありません。僕らはこの時代でさえ独学でいろんなことを学んでいたわけです。

大学生になってまず衝撃的だったのは、学生が大人だということ。たとえば中学~高校時代というのは、廊下ですれ違うときに他の生徒と肩がぶつかったりしたら、内心はビクッとしながらも、お互い距離をとって睨み合い、「こっちは悪くない。おまえがぶつかってきたんだろ?」と無言で牽制しあうのが通常でした。これは九州だけの習慣なのかもしれませんが、とにかく余裕がないというか虚勢をはるというか威圧的。ところが大学に入って驚いたのは、相手が簡単に「あっ、すいませ~ん」とあやまってくる。こっちは新入生だから間違いなく相手が年上なんだけど、こっちが身構える前に相手の大人の対応がやってくる。「大学は大人の世界だ」と感じた瞬間でした。

また、高校では喫煙が見つかると停学だのと大騒ぎになるものですが、大学に入った途端に普通に煙草が販売されていて、灰皿が置いてあるということも驚きでした。学生と先生が一緒に煙草吸ってるとか。大学では成人が多数なので当たり前といえば当たり前なのですが、善悪の境目っていうのはこんなもんなんだな、と当時実感しました。

そうやって大学にいるだけでいろんなことに気づかされていきました。

このエントリーは写真という視点で書いているため、写真への興味が薄れていた大学時代の話題は乏しいのですが、大学時代の僕が薄かったわけでは決してありません。むしろこの頃はもっとも濃い時期で、高校時代と対極的にほんとに毎日が刺激的で、いろんな人に出会い、いろんな人と口論し、いろんなことを勉強しました。写真以外のことをいろいろやっていたというだけのことです。機会があったら大学時代の話はまたあらためてしたいと思います。

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