平城遷都1300年ってすごいなーとあらためて

子供の頃は、学校で習った大化の改新も、関ヶ原の戦いも、明治維新も、太平洋戦争も、自分が生まれる前の出来事はすべて、遠い過去の話だと思っていた。それは実際、10年かそこらしか生きてない俺にとっては遠い過去だった。

しかし、今、考えてみる。第二次大戦が終わったのが1945年で現在は2010年。その真ん中は1978年あたり、俺が小学生の頃だ。終戦から生まれるまでよりも、生まれてから今までの方がずっと長いわけだ。こうやって並べてみると、第二次大戦はそんなに過去の話ではないことがわかる。年を取ってみるとそれがわかるようになる。

このように「自分の生まれる前の出来事の距離感を補正しないといけないな」と最初に感じたのは、24歳のころ。その年は1995年で終戦から50年だった。その年にひょんなことから見た映画「天国にいちばん近い島」のセリフに「終戦から三十余年・・・」という台詞があったのだ。その映画はたしかに過去の映画だったが、そんなに古い映画という印象はなく、公開されたころのことも普通におぼえていた。その映画が公開当時まだ戦後30数年で今は50年。終戦というのはその程度の過去なんだ、と思い知った。

それからさらに15年が過ぎた。戦争を知らない世代である俺たちも、今の子供からしたら限りなく戦争を知ってる世代に近いことだろう。

まるで終戦記念日の日記のような内容になってしまったが、本題はそこじゃない。生まれる前の出来事の距離感はつかむのが難しいのだ、という話だ。

今の大学生の大半は湾岸戦争後に生まれている。だから湾岸戦争を関ヶ原の戦いと同じくらい過去の出来事だと思っているだろう。ソビエト連邦はアケメネス朝ペルシャやインカ帝国と同じく、かつて存在した歴史上の国の一つでしかない。その感覚はもちろん俺の世代とは共有されていないが、それは彼らの感覚がおかしいのではなく、俺らの想像力の欠如だ。

そうやって想像力をはたらかせて過去の出来事の距離感をつかんでいくと、がんばれば明治維新くらいまではなんとか遠近感を把握できる。俺らが子供の頃は明治生まれのお年寄りはたくさんいたし、当時の最高齢者泉重千代さんは江戸時代生まれだった。今でこそ「江戸生まれの148歳が戸籍上生きていることになっている」というニュースが流れても「もしかするとほんとに生きているのでは」などと思うことはないが、俺が子供の頃には江戸生まれの人が実際に生きていたわけだ。その程度の近い過去なわけだ。

しかし、平安遷都1300周年となるとどうだろう?これは想像の範囲をはるかに越える。

いや、ただ「すごいなー」と思っただけで、感慨があるかと言えば特にないんだけれども。

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