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2ちゃんねる発?のデモ

「2ちゃん発、素人たちのデモ 名古屋でチベット弾圧抗議」

http://www.asahi.com/national/update/0419/NGY200804190010.html
(注:現在は記事は読めないようです)

中国によるチベット弾圧はけしからんことです。これに怒りを露にしている人たちがいるのは当然のことです。なので、日本国内でもデモの一つも起きるのは当然のことです。

しかし、僕が気になったのはこれ↓

「特定の政治色がないということで安心して来ました。ネットだけでは限界もあると感じていたが、思いを形にできた」

日本人の政治感覚が色濃くでてますよね。僕はこの中に3つの突っ込みを入れたくなりました。

その1:「いやいや、あなたのやってることは十分政治色濃厚ですよ。」

「特定の政治色がない」という表現はどこかの政党が先導していない、という意味だとは思いますが、そもそも「政治に興味を持つことはカッコ悪いことだ」とする日本独自の伝統文化の問題が背景にあります。さらに「政治的発言をするやつはヤバいやつ」とか「政党や政治団体にかかわるのは危険」というのも、大多数の人が思っていることです。日本では「わたしは善良な市民ですので政治には興味ありません」と言ったとしても別におかしい感じがしません。なんとシュールな国なんでしょう。

「いや、政治色はないんですよ」。中国によるチベット弾圧に対して抗議する、という行動を「政治」と切り離そうとする心理がどうして働くのか。これはきっと政党や政治団体による囲い込みが極限まで進んだ結果、それらに属さない人の政治的発言/行動のためのチャネルがなくなっていたことが原因ではないかと思います。

しかし今となってはこう言い換えていいのではないでしょうか。「私たちはあたらしい政治の形態を見つけたのです」、と。

その2:「2ちゃんねるで盛り上がった理由に政治色があると思わないの?」

世界中でものすごくたくさんの人権侵害が行われています。なぜチベット弾圧だけがネット上でこんなに盛り上がったのか? それは2ちゃんねるに集う人の多くが「元々中国を嫌っているから」です。チベット弾圧が許せなかったから盛り上がったのではなく、中国がそれをやったから許せなかったのです。南京問題、靖国問題などをはじめ日中戦争~第二次大戦の時期の歴史観の相違が生み出した対日感情、対中感情というのがあります。非常に簡単に言えば、「日本を悪者にしている中国人が嫌い」という感情を持っている人が2ちゃんねるには多い。ただ、今はこの感情そのものの是非は置いておきましょう。

しかしこれまでの2ちゃんねるを発祥とする「首相の靖国参拝を支持しよう」という運動などと今回の運動が同じ政治色を持っている、ということは容易に想像できます。呼びかけ人がどうなのかとかそういうことではなく、2ちゃんねるで潰されずにむしろ盛り上がった理由はそこにあると考えられます。

ですから「人権弾圧を許せない人たちが2ちゃんねるで自然発生的にあつまった」と考えるのは間違いです。同じ人がイスラエルによるパレスチナ人弾圧には見向きもしませんし、日本人による在日朝鮮人差別には加担するのです。

僕が言ってるのは「だから今回のデモはおかしい」というのではありません。「だから政治色はあるんだ」ということです。どんな政治的行動にも背景があります。ニュートラルなんてことはありえません。その時そのテーマに賛同できれば主催者が誰であろうとどこで呼びかけられたデモであろうと参加すればいいんです。

その3:「どんな思いを形にできたのか」

デモの基本は自己満足です。これは悪い意味で言ってるのではなく、そういうものなのです。僕はいくつものデモを主催してきたのでわかります。デモは怒りを発散するイベントなのです。どうせ怒りを発散するなら自宅のテレビの前で愚痴るのではなく、外で大声を張り上げた方がいいのです。そして、その程度で世界は変わらないし、変わらなかったからデモが失敗だったというわけでもありません。

では、なぜ「中国がチベットを弾圧すること」を許せないと思い立ち上がるのでしょう? さきほどの「元々中国が嫌いだから」という人のことはこの際おいて置いて、みなさん、自分はどうなのか考えてみてはどうでしょうか。多くの人にとって中国もチベットも外国です。日本人に限らずフランス人だって誰だってほとんどの人にとって、他国の知らない人たち同士の話です。僕は、誤解を恐れずに言えば「なんで知らない人が知らない人を弾圧するのをそんなに怒るの?」と思うのです。

僕らの目の前にはもっと切迫した問題が山積みではありませんか? 「有害図書」を持っているだけで犯罪者とする「児童ポルノ法改正」がもうすぐ国会で通ってしまいそうですが、あなたの人権は大丈夫ですか? 憲法9条が改正されるかもしれませんが、あなたは他者を迫害する立場になれますか? あなたは本当に年金をもらえますか?

他国の問題点はよく見えますが、自分のまわりはよく見えません。「他国の人権弾圧」抗議に力を注ぐ間に、自分の足元がボロボロと崩れていく音がしています。「形にしたい思い」とは何なのか、もう一度考えてみてはどうでしょうか。

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参院選終わりましたが・・・。

さて、民主圧勝です。

これからテレビで評論家がコメントしたりや新聞で社説がでたりすると思います。それらより先に書きたいことだけ書いておきます。

今回の選挙の総括として「市民の声が政治を動かした」「有権者の目は確かだった」「これが民主主義だ」という論調になるのではないかと想像します。たぶんなるでしょう。浮かれる人が多いでしょう。でも本当に「『年金問題』や『談合事件』に対する人々の怒りが歴史を動かした」のでしょうか?

僕はそうは思いません。役人のやっつけ仕事も不要な公共工事もこれまでいくらでも行われてきたことですし、報道もされてきました。今回の事件と同じくらい腹立たしいことは僕が生きてきた数十年間に限って言っても、いくらでもありました。でもそれが選挙にここまで激しく影響することはありませんでした。なぜ今回だけこんなにひっくり返ったのでしょう?

そんな奥歯に何か引っかかったような言い方せずにはっきり言えよ、ということであればこう言いましょう。自分の意志で民主党に投票したと思っている人のほとんどは、マスコミに誘導されてるだけなのではないですか? マスコミの報道の中で事件の事実報道以外の部分、コメンテーターか何かのちょっとした意見なんかの部分を自分の意見だと混同し、それに従って投票したのではないでしょうか?

僕はニュースに出てくる評論家とか知識人のコメントが大嫌いです。かなりいい加減なことを言ってる場合も多いし、せっかくの事実報道を視聴者に歪曲して理解させる悪しき存在だと思っています。最近のニュースはこのコメンテーターのコメントが長く、「本来視聴者が考えるべき部分」を解答として言い過ぎていると思います。その結果「考えない有権者」「誘導しやすい有権者」が生まれてしまった、と僕は考えています。これはコメンテーターが悪いわけではありません。彼らはマスコミが「視聴者に分かりやすく」という大義名分の名のもとに世論を誘導するためのツールであって、誘導しようと思っているのはまた別の人たちです。

勘違いしてほしくないのは、僕はマスコミが政治的に偏っていたり、偏った意見を言うのは悪いとは思っていません。朝日が左寄りだったりフジサンケイが右寄りだったりしても別に問題ありません。また、有権者を誘導する力には多大なメリットがありますので、それをやろうとする人の気持ちもわからなくもありません。ただ、言いたいのは「あなたの行動はほんとうにあなたの意志でしたか?」ということです。「選挙期間中にもかかわらず特定の候補や特定の党ばかりが報道される」現状をまずおかしいと思わなければいけません。

日本の選挙は投票をやる前にだいたい決まっています。今回の選挙の「争点」という言葉がよく使われていますが、この「争点」を作っているのも世論ではなくマスコミです。というか世論とは実質的にはマスコミ報道のことなのです。争点を作れば選挙結果は決まります。実際にどの候補者が当選するのかまでは決まりませんが、どの党がどのくらい得票するかは決まってます。「投票をやる前に決まっているのなら選挙はいらないじゃないか!」と思うかもしれませんがそうではありません。選挙があるからマスコミが争点を作れるんです。

僕は「選挙なんて無駄だ!」とは思いません。でも、今回の選挙を「有権者の力で歴史を動かした」と喜んだり、「民主主義が正しく機能した」と評価したりするのは早合点だと思います。まあ1~2週間くらいは夢を見てもかまいませんが、しばらくしたら冷静に考えてみてください。

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『キリスト教は邪教です!』ニーチェ

という本を読みました。

ニーチェ『アンチクリスト』の現代語訳ということで、他の『アンチクリスト』邦訳本とはくらべものにならないくらいわかりやすく大雑把な訳です。これは哲学書としては失格だと思いますが新書としては最高の出来だと思います。たとえば節のタイトルも以下のような現代日本語のボキャブラリの範囲内で書かれています。

・「教会の自虐史観を笑う」
・「キリスト教は『ひきこもり』」
・「『世界の中心で愛を叫ぶ』おごり」
・「オカルト本『新約聖書』の暴言集」

こういう書き方は今でなければ通用しないわけで、近い未来にはかえってわかりにくくなる危険性があります。それでも今の時代のためにこのような訳をとった訳者のセンスに感謝したいと思います。

この本は表紙に911のWTCの写真が使われていることからもわかりますが、911以後の世界を理解するヒントとしてニーチェが有用であることを証明しています。引用します。

「要するに、彼らは正真正銘のバカなのですね。彼らはよく攻撃をしかけますが、攻撃をされたほうが、かえってよく見えてしまう。キリスト教徒に攻撃されることは、名誉であっても決して恥ではありません。(中略)結局、キリスト教徒が他人を攻撃したのは、特権を奪い取るためだったのです。それ以外の理由はありません。」

これは「ニーチェいいこと言うねぇ」と関心するために引用したのではありません。この文が重要なのは、ニーチェの時代と今の時代で本質的には何も変わっていないということが、つまり911以後に何かが変わったわけではないということが示されているからなのです。「911以降に世界がおかしくなった」と考える人は多いと思います。ビン・ラディンによって911が起こされ、なぜかアメリカはフセインを攻撃した。鉾先が変なんだけどそれはふりあげた拳を降ろせなくなったからで、そのくらい911がアメリカにとって悲惨な出来事だったんだ・・みたいな。でも実はそうじゃなくて911があろうがなかろうが先天的にキリスト教徒は他教徒を攻撃するクセを持っていてそれが発源しただけのことなんだ、というのがニーチェを通しての理解というわけです。

この本には過激な記述が多く、キリスト教批判だけでなくユダヤ人バッシングも激しい。権力肯定もニーチェを知らない人には刺激が強すぎるかもしれません。もし他の誰かがこの本と同じことを書いたらマスコミや業界から袋叩きにあうでしょう。もしかすると暗殺されるかもしれません。そのくらい過激です。しかしこの過激さは意図的です。ですからこれを読んでそのまま額面通りに受け取るのも危険です。というか額面通りに受け取ってそのまま実行することができる本なんて世の中にはありません。あるとすればそれは聖書であって、それを批判しているのがニーチェなのです。なので、この本に「正解」が書いてあると期待ないでください。でも、ものすごくいい「ヒント」が得られると思います。

都知事選雑感

終わりましたね。都知事選。

こういうネタは法律がややこしいので選挙期間中には書きにくいんですよね~。統一地方選ともなると日本中にたくさんの候補者がいるわけで、知り合いが出馬する、なんていうのはあたりまえ。むしろ知り合いがだれも出てない選挙なんてほとんど無くなってしまいました。客観的に選挙の様子を書くことと誰かの応援をすることの境目がほんとむずかしい。

統一地方選自体はまだ後半戦がありますが、注目の都知事選についての雑感を。

前に書いたように知合いが出馬したり議員になったりするのは珍しくないんですが、今回は都知事選。ある意味国勢選挙以上の注目度です。今回の選挙での僕の立場は超消極的浅野支持なおかつ外山支援でした。テレビや新聞では「石原vs浅野」の戦いばかりが報じられていましたが、一方でネットメディアを中心として「外山vsそれ以外」の戦いが演じられていました。今回の都知事選の本質をついているのはやはり後者ではないかと思います。言い替えるならば「外山vs選挙制度」の戦いだったと思います。石原vs浅野はどこでも報じられているしそれ以上の情報もとくに知らないのであえて言いません。最後の新宿演説を聞きに行きましたがその時点で結果はおおよそ見えてしまいました。なのでここでは「外山vs選挙制度」の戦いについて書きます。

丹下さん、雨漏りします。

丹下さん、雨漏りします。

RICOH GX8

知らない人のために言っておくと、外山の政見放送だけが興味本位でYoutubeやニコニコ動画などのサイトにアップされ、繰り返し視聴されていたことが話題/問題となっていました。もちろん動画をアップしたのはどこの誰とも知れない愉快犯だと思いますが、今回は「特定の候補だけ見れるのは公平でない」というわけのわからない理由からネット上から削除されるという事態になりました。

なぜこの削除理由がわけがわからないかというと、動画サイトはサイト管理者が動画を選んでアップするマスメディアではなく、視聴者が動画をアップするコミュニティだからです。他の候補の動画がアップされていないのは他の候補の政見放送が注目されてないからたまたま誰もアップしなかったというとても公平な理由だし、もし望むならばより公平にするために選挙管理委員会が他の候補の動画をアップすることだって容易だったわけです。

言うまでもなく、テレビの政見放送の流れる時間や回数がどの候補も同じになっているのは、見る機会を公平にするためですが、一方ネットは双方向メディアなので動画サイトでは見たい人が見たいときに見れるわけで、それを視聴回数をもって平等でないと判断するのはナンセンスです。ネットでのアップロード数や視聴数はマスメディアでいう場合の報道量に対応するものではなく、むしろ視聴率に対応するものです。ということはネット上の動画を削除する行為は特定候補の政見放送が流れているときにテレビを切るとかチャンネルを変える不公平な行為といえます。

問題を整理すると、匿名の誰かが動画サイトに特定の候補の政見放送をアップしたのは公職選挙法に抵触する行為である可能性はあったけれども、有権者の民主的な行為であることは間違いない。とすれば問題はアップした人にあるわけではなく、ネット時代に対応できない公職選挙法にあるわけです。

時代に対応できてない制度、という点は一部のネットメディアでも批判されていました。通常はこういう特定泡沫候補に関する話題を選挙期間中に取り上げることはありえないのですが、さすがにセンセーショナルだったためか候補名を書かないという対策を講じた上で報道されていました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070403-00000055-zdn_n-sci

選挙期間が終わったため、この件に関しては各メディアでも取り上げられることになるでしょう。その結果今後の選挙制度がどうなるのかが見物です。ネットを利用した選挙活動が解禁になったり、いつでも誰でもネットで政見放送が見られるようになったりといった方向に向かうのか、それともネット上の規制をより強化するというった安易で時代錯誤な方向に向かうのか。

ではまとめます。今回の都知事選では浅野は都政に風穴をあけることができませんでしたが、外山は選挙制度に風穴をあけることができました。つまり「浅野vs外山」の異種格闘技戦は外山の勝利です。ただし選挙制度の改善は外山の目指すところでは無いハズなので(民主主義を否定しているわけですから)、これは外山からのプレゼントということで選挙制度改革派の人はこのきっかけをありがたく受け取っていい選挙制度を作りましょう。

あ、外山の選挙戦全体(Youtubeや2chで話題になったり、Yahooで検索キーワードNo1になるほどの彼そのものの言動とか、高円寺に集合して何が行われていたのか、など)のことも書こうと思いましたが、そもそもまだ最初の一歩が終わっただけなのであえて書きません。気になる人はネット上にあるブログや2ch、mixiなどの情報を拾い読みしてください。もしくは彼に直接電話するなり熊本市新市街アーケードに8時に集合するなりしてください。

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マイクロソフトのNPO支援

昨日、マイクロソフトの主催する「NPO Day 2006」というイベントに行ってきました。日本での開催は初で、趣旨は「マイクロソフトのNPO支援活動を知ってもらうこと」のようです。NPO関係者にしかアナウンスされていないあまり公じゃないイベントでしたが、マイクロソフトとしてはかなり本気のようで、ビル・ゲイツも直々に壇上に上がるほどの熱の入れようでした。

気になるNPO支援の内容ですが、大きなポイントは二つで、一つは日本のNPOに対し毎年1プロジェクトへ助成金を出すというもので、これまでの活動報告なども行われました。もう一つはこれから始まるあらたな支援で、NPO向けのツールやテンプレートを無償で提供する、というものです。このツールというのがどのようなものなのか(ソフトウェアなのかサイトなのか、など)はよくわかりませんでしたが、試作段階のものをこれから公開し徐々に完成させていくようです。マイクロソフトの説明ではこの2つに「IT教育」と「NPO Dayの継続」を合わせて4本柱としたNPO支援活動を行い、これをNPO-Jと呼ぶとのことです。

支援といいつつマイクロソフト製品を広める広報活動の一環じゃないか? という疑念に対しては「そうともとれるけどそんなにあからさまでもない」という印象を受けました。とくにマイクロソフト社員のスピーチの中にはマイクロソフト製品のすばらしさを説く内容はあまりなく、あくまで「ITを活用すること」の意義を語ることに徹していました。あまりにも自社製品名が控えられていたので、疑念を抱かせないために相当神経を使っていたのではないかと想像してしまいました。

いずれにしても僕としては助成金には興味ないし、有効活用できるツールが提供されるとも思えないのでマイクロソフトのNPO支援のお世話になることはないでしょう。しばらくはこのNPO-Jが日本のNPO発展にとってどういう意味を持つのかを静観する、というスタンスに立ちたいと思います。ただしNPOに限らず社会的に「マイクロソフト製品をスタンダードとする」現在の状況に対しては「オープンでない」という観点から異議を唱えていくつもりです。

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遅ればせながら、選挙雑感

いやすごいことになってきましたね。ホントに。

この結果を喜んでる人多いみたいですけど、やばいです。

今回小泉改革を支持したことで「自分も日本を動かした」という満足感を持っている人、いるでしょ。でもそんなあなたに言いたい。「小泉ならやってくれるだろう」という日本中の他力本願エネルギーが爆発した結果として、「困ったことになっても誰にも止められない改革」がスタートします。今はあなたの意見が反映されたかもしれないけれども、今後は何も反映されない。小泉は民意で支持されたけど、民意をくみ取ったりしない。改革が終わったら辞めるって言ってる小泉には人の意見を聞く理由がないんだから。

僕はこれまで、日本の民主主義は投票率が低下しすぎて崩壊すると思っていました。逆でしたね。民主主義を放棄する方法を持っているのが民主主義の限界だとよく言われていましたが、本当にそうなりました。やはり言わざるをえません。「小泉はすごい」と。こうなるともう、今後の決議はあってもなくても同じですよ。

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不在者投票

当日は神戸にいるので、今日不在者投票に行ってきました。

いつも思うんですが、衆院選はともかく最高裁裁判官国民審査の方はむずかしいですね。日頃どんな判決を出しているかなんて気にしてないのであわてて調べたりしました。「ああ、この判決出したのはこの人か」とか有名裁判の判事だったりして勉強になりました。ただ、この国民審査で罷免された裁判官は過去いないそうで制度としては微妙だと思います。

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