あいかわらず時差のある日記ですが、2週間ほど前に熊本の実家に帰ってました。
2年ぶりの熊本でした。梅雨のど真ん中のため出歩いたのは実家の周辺だけでしたが、田んぼだった所に街ができていたり、あったビルや家がなくなっていたり、陰気な池沼が美しい公園に変わっていたり、町が合併して市になっていたり、いろんな変化がありました。その変化の中でいろいろ思ったことがあるのでそれを書きます。
妙泉寺公園
OLYMPUS Pen-D3 | ZUIKO 32mm(換算45mm) | KONICA SENTURY SUPER 200
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行ったときはそうでもなかったのですが、その数日前には歴史的な雨量だったらしく、壁をなぎ倒し崖を突き崩す、台風のような梅雨前線の面影がちらほらと残っていました。
大雨のあと
OLYMPUS Pen-D3 | ZUIKO 32mm(換算45mm) | KODAK GOLD 200
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雨がやんだ時を見はからって、小中学生の頃の通学路などよく歩いた道を中心に散歩しました。それはただの散歩なのですが、今思えば「記憶の中にある場所が、実際にまだ存在することを確認するための作業」だったのだと思います。
雲と金峰山
OLYMPUS Pen-D3 | ZUIKO 32mm(換算45mm) | KODAK GOLD 200
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その確認作業が何のために行われるのかはわかりません。もし記憶が人格を形成するのだとすれば、その確認作業が人格の分裂を抑止し同一化を促すのかもしれません。写真を撮るのもそのためなのかもしれません。
かつて線路があった場所
OLYMPUS Pen-D3 | ZUIKO 32mm(換算45mm) | KONICA SENTURY SUPER 200
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だとすると、変化に遭遇した場合、つまりあったはずの物がなくなっていた場合はどうなのか?
しかしこれもやはり確認作業なのでしょう。なくなったことを確認する、変化を受け入れる作業。記憶と現実の差分を確認する、アップデートする作業、と言った方がいいでしょうか。
木製の電柱とトマト
OLYMPUS Pen-D3 | ZUIKO 32mm(換算45mm) | KONICA SENTURY SUPER 200
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そういえば、「楽しかったから」という理由ではなく、ただ単に、一度行ったっきりの場所にもう一度行きたくなることがあります。これもおそらく「記憶の確認」願望なのだと思います。そこがまだあるのであればそれでよいし、なくても差分情報としてアップデートすればよい。ただその作業を行いたいという願望。
そこで思ったのですが、これってソフトウェアのアップデートに似ているかもしれません。やらないとなんとなく気持ち悪い、やったらそれだけで満足する、みたいな。
田舎のランドマーク
OLYMPUS Pen-D3 | ZUIKO 32mm(換算45mm) | KODAK GOLD 200
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自問自答のつづく中、バチリバチリと写真を撮り続けました。そして、なんとなく、次回につづく。