読んだ本/漫画」カテゴリーアーカイブ

ブックカバーなんちゃら2回目(追加7選)

2回目が回ってきたのであと7冊紹介します。今回もルールには従わず、一気に7冊紹介します。

前回は最近読んだ本の中からの紹介でしたが、今回は手近な場所にあった文庫本棚をざっと眺めてそこから新旧交えてピックアップしました。セレクトの基準はこの記事を最後まで読めばなんとなくわかると思います。あと今回は紹介文が長めです。

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最近読んだ本7選 2019~2020

ブックカバーなんちゃらが回ってきました。

本を読むことにも本を紹介することにも大賛成ですが、チェーンメール的ルールには賛同しないので、7冊の紹介だけやって誰にも回さずに終わります。

最近はKindleで読むことの方が多いので紙の本となるととても限られるのですが、ここ1年くらいで読んだ本のうち取り出しやすいところにあったものを適当にピックアップしました。特にオススメというわけでも無いものも含まれています。

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『自省録』マルクス・アウレリウス

『自省録』/マルクス・アウレリウス (講談社学術文庫)

マルクス・アウレリウス・アントニヌス。ローマ帝国の皇帝にしてストア派哲学者。しかも、皇帝としては歴代ローマ皇帝の中でも著しく評価の高い「五賢帝」の1人に数えられ、哲学者としても現代まで読み継がれている数少ないストア派哲学書の著者である。プラトンが『国家』で夢として描いた「哲学者が統治する理想国家」をある意味実現した人。こう聞くと「圧倒的じゃないか!」と思える。しかし。

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最近読んだ本 – 『闘うための哲学書』-小川仁志×萱野稔人


闘うための哲学書 (講談社現代新書)

本屋で平積みになってるのをたまたま手にとって期待せずに読んだ。

これ、むちゃくちゃ面白い。

著者の2人が22冊の哲学書を対談形式で解説するという一見普通の「哲学入門書」の形式なんだけど、面白いのは紹介されている哲学の中身ではなくて、この2人の解釈が毎回違っていてしょっちゅうぶつかって議論になるという点。

おおまかな傾向としては企画者の小川氏が解説するとゲストの萱野氏が違う視点で切り込む、という流れになっている。最初こそ用意された台本のように「こういう考え方もありますよ」のようなソフトな議論で進むんだけど、途中(と言ってもかなり早い時期)からはガチバトルな展開になり、この2人は相当仲が悪いんじゃないかと読んでいて心配になるくらいぶつかり合う。それが面白い。「寝る前に1日1哲学者ずつ1ヶ月くらいかけて読もうか」くらいに思っていたけど、結局3日で読み終わってしまった。

固い話ほど対談形式のほうが楽しめるというのはあるんだけど、それにしてもこんなにエキサイティングな対談は『EV.Cafe 超進化論 (講談社文庫)』以来かもしれない。

EV.Cafe 超進化論 (講談社文庫)

ところで、この小川仁志氏って全然知らないけどどんな人なんだろう?と読み終わってググってみたら、昨年読んだ本に自分で感想書いてることに気づいた(笑) そうか。この人か。

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最近読んだ本2015春

突然ですが、ここ最近読んだ本の紹介です。

適当にピックアップしています。特におすすめというわけでもないので参考にするなりしないなり、ご自由にどうぞ。

21世紀の資本


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最近読んだ本-2014春

電車通勤になって一年半、読書量は増えたのですが、一冊一冊を熟読してる感じではなくなったような気がします。というわけで、最近読んだ本の中からいくつかをピックアップして一行コメント的なものを残しておこうと思います。順不同です。

そして読んで時間が経ってるのもあるので感想は適当だし、選択基準も特におすすめしたいものというわけでもないです。

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本買いだすと止まらない

仕事帰りにちょっとふらっと本屋に行きました。

本屋というのは不思議なもので、1週間に2~3回行ってると立ち読みで済んでしまうので月1冊買うかどうかくらいなんですけど、1ヶ月ぶりに行ったりするとつい買い込んでしまいます。

で、今回は久しぶりだったわけですが・・・・。

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「スナップ写真のルールとマナー」

近年は、路上スナップとか何気ない日常のワンショットというのは今はほとんど撮影できなくなりました。

それは、ブログなどの気軽に写真を公開できるメディアの登場とそれと同時に広まった「盗撮」に対する警戒心とか、なぜか過剰な「肖像権」主張とか、ほぼ関係ないのに個人情報保護法とか、そういった現代の社会風潮の中で「理由もないのに写真を撮るな」という共通認識が世間に蔓延しているからです。写真に興味がない人はあまりピンと来ないかもしれませんが、これは文化的にはかなりの危機状態です。このままでは平成日本の街の風景はまともな記録としては残らない可能性が大きいです。

人物スナップの場合は「撮影の前か後に声をかけて許可をとる」というのが写真家の間では広く行き渡ったマナーなのですが、最近では「写真撮ってもいいですか?」と声をかけたら不審者として通報された、という事件に発展したという例もでてきており、モデルと友人以外の人物は撮らない写さない、というのが新しいルールになろうとしています。そうなるとカメラ目線の「作られた」写真以外はなくなってしまい、自然な街並みやファッション、流行などが記録されないことになってしまいます。

僕は近年、「これは非常にまずい状況だ」と思っていたんですが、やはり写真業界でもこの行き過ぎた状況に歯止めをかけようと思った人があらわれたのか、日本写真家協会からこういう本がでました。

「スナップ写真のルールとマナー」 [朝日新書063]

この本はプロアマ問わず写真家がスナップ撮影をする際に注意する点をQ&A形式で解説した本ですが、基本的には「この逆境の中でいかにスナップ写真を撮る権利を守るか」というコンセプトで作られているように思います。肖像権、著作権など法的な側面からも「何はまずくて何はOKなのか」が詳しくかかれています。ですので写真を撮る人にとっては必読書でしょう。

というわけでこの本の出版意図はよく理解できますし、趣旨には賛同します。しかし大雑把に言えば「どうすれば良いかはケースバイケースです。誠意を持って対応すれば大きな問題にはならないでしょう」と書いてあるだけなので、正直に言うと心許ない。ギリギリのところで逃げてるというか、難しい問題をただ難しいと書いてあるだけというか。

とは言え、この本は「写真にまつわる共通感覚を再構築していく」ための重要な第一歩でしょう。そしてこれをスタートラインとして新たな可能性が開かれていくことに期待しましょう。

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『キリスト教は邪教です!』ニーチェ

という本を読みました。

ニーチェ『アンチクリスト』の現代語訳ということで、他の『アンチクリスト』邦訳本とはくらべものにならないくらいわかりやすく大雑把な訳です。これは哲学書としては失格だと思いますが新書としては最高の出来だと思います。たとえば節のタイトルも以下のような現代日本語のボキャブラリの範囲内で書かれています。

・「教会の自虐史観を笑う」
・「キリスト教は『ひきこもり』」
・「『世界の中心で愛を叫ぶ』おごり」
・「オカルト本『新約聖書』の暴言集」

こういう書き方は今でなければ通用しないわけで、近い未来にはかえってわかりにくくなる危険性があります。それでも今の時代のためにこのような訳をとった訳者のセンスに感謝したいと思います。

この本は表紙に911のWTCの写真が使われていることからもわかりますが、911以後の世界を理解するヒントとしてニーチェが有用であることを証明しています。引用します。

「要するに、彼らは正真正銘のバカなのですね。彼らはよく攻撃をしかけますが、攻撃をされたほうが、かえってよく見えてしまう。キリスト教徒に攻撃されることは、名誉であっても決して恥ではありません。(中略)結局、キリスト教徒が他人を攻撃したのは、特権を奪い取るためだったのです。それ以外の理由はありません。」

これは「ニーチェいいこと言うねぇ」と関心するために引用したのではありません。この文が重要なのは、ニーチェの時代と今の時代で本質的には何も変わっていないということが、つまり911以後に何かが変わったわけではないということが示されているからなのです。「911以降に世界がおかしくなった」と考える人は多いと思います。ビン・ラディンによって911が起こされ、なぜかアメリカはフセインを攻撃した。鉾先が変なんだけどそれはふりあげた拳を降ろせなくなったからで、そのくらい911がアメリカにとって悲惨な出来事だったんだ・・みたいな。でも実はそうじゃなくて911があろうがなかろうが先天的にキリスト教徒は他教徒を攻撃するクセを持っていてそれが発源しただけのことなんだ、というのがニーチェを通しての理解というわけです。

この本には過激な記述が多く、キリスト教批判だけでなくユダヤ人バッシングも激しい。権力肯定もニーチェを知らない人には刺激が強すぎるかもしれません。もし他の誰かがこの本と同じことを書いたらマスコミや業界から袋叩きにあうでしょう。もしかすると暗殺されるかもしれません。そのくらい過激です。しかしこの過激さは意図的です。ですからこれを読んでそのまま額面通りに受け取るのも危険です。というか額面通りに受け取ってそのまま実行することができる本なんて世の中にはありません。あるとすればそれは聖書であって、それを批判しているのがニーチェなのです。なので、この本に「正解」が書いてあると期待ないでください。でも、ものすごくいい「ヒント」が得られると思います。

本読みてぇ~

もうずいぶん長い間、買う本の数のほうが読む本の数より多い状態が続いています。

本屋では見つけたときに買わないとあとで探しても見付からなかったり絶版になって入手困難になることがあるので、よほど高い本でない限りいずれ読む本ならその時買っちゃいます。ところが日常的に本を読む時間を確保するのは非常に難しい。電車の中や一人での外食時などに読むことが多いのですが、自転車通勤なので電車に乗ることが少ないし、自炊が増えたので外食が減った。自転車通勤も自炊もいいことだと思うんですが、その結果読書時間が少なくなるのはちょっと残念です。

そんなわけで、うちには読んでない本が常時20~30冊ほどたまってます。本棚はジャンルや購入時期でおおざっぱには分かれているので読んでない本がどこにあるかはだいたいわかるのですが、出かけるときにカバンに放りこむ時にさっと判別できるように、読んでない本は本屋のカバーを付けたまま、読み終わった本はカバーをはずす、というルールを決めています。このおかげで部屋を見回せば読んでない本がどのくらいあるかが分かるわけです。

では、最近読んだ本の紹介を。

-『ドゥルーズ 没後10年、入門のために』 河出書房新社
-『無思想の発見』 養老孟司 ちくま新書

ドゥルーズ本の方はなんというか、もう17~8年読んでるのに今さら入門書読んでるのもあれですが、いまだに一応雑誌の特集号とか入門本も出るたびに買ってしまいます。ですが、この本はめずらしく読みやすいし広い範囲をカバーしているので副読本としてはよい本だと思いました。ドゥルーズの著作自体も最近は邦訳も出揃って二周めに入りつつあるし、再読も含め時間を作って集中して読みたいと思う今日この頃です。

とフランス現代思想に浸った後に読んだ養老本の方は、一転して「日本人は無思想だ」ということがひたすら書かれている本。日本人は無宗教、と言われることはよくありますが、その思想版です。基本的に養老は日本人が無思想であることに肯定的です。無思想だから戦後を切りぬけたし、無思想だから明治維新を成し遂げた、と。そしてこの無思想こそが日本の思想であって、思想を持っていると思われる人や行動も、実際は外来思想を一時的に借りているだけで本来的には空っぽであると。これまでフランス現代思想を日本人が読み解く本を読んでいただけに完全否定された感じです。一つ一つの事例に関しては異論もあるし、強引な感じもするけれども、数学のゼロと同じ、という考え方はなるほどと思わなくもない。欧米の合理主義にどっぷり使った現代日本人が本当に養老のいうような日本人的な無思想家と言えるのかどうかわからないけど。ところがそうやって文系ぎらいの毒舌オヤジの戯言に最後までつき合うと、最後にたどり着くのはなんと「差異の肯定」。あれ?偶然にもドゥルーズとつながってしまいました。誤読かもしれませんが、要するに、ヒエラルキーの上に登るのではなく下に降りるのが力への意志であり、「同じ」の頂点に立つのではなく「違う」の中にまみれろ、と言っているように読めました。それって外来思想を使わずに外来思想を説明してるんじゃないの?というか養老の思想は無思想なんかじゃないじゃん。宗教に耐性のない人(俺とか)に宗教の話をすると「うさんくさい」と思われるのと同じように、思想を持ち出すと「うさんくさい」と思う人が多いので、俺のは思想じゃないよ、と言い張る戦略なのかなとも思えました。

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