本読みてぇ~

もうずいぶん長い間、買う本の数のほうが読む本の数より多い状態が続いています。

本屋では見つけたときに買わないとあとで探しても見付からなかったり絶版になって入手困難になることがあるので、よほど高い本でない限りいずれ読む本ならその時買っちゃいます。ところが日常的に本を読む時間を確保するのは非常に難しい。電車の中や一人での外食時などに読むことが多いのですが、自転車通勤なので電車に乗ることが少ないし、自炊が増えたので外食が減った。自転車通勤も自炊もいいことだと思うんですが、その結果読書時間が少なくなるのはちょっと残念です。

そんなわけで、うちには読んでない本が常時20~30冊ほどたまってます。本棚はジャンルや購入時期でおおざっぱには分かれているので読んでない本がどこにあるかはだいたいわかるのですが、出かけるときにカバンに放りこむ時にさっと判別できるように、読んでない本は本屋のカバーを付けたまま、読み終わった本はカバーをはずす、というルールを決めています。このおかげで部屋を見回せば読んでない本がどのくらいあるかが分かるわけです。

では、最近読んだ本の紹介を。

-『ドゥルーズ 没後10年、入門のために』 河出書房新社
-『無思想の発見』 養老孟司 ちくま新書

ドゥルーズ本の方はなんというか、もう17~8年読んでるのに今さら入門書読んでるのもあれですが、いまだに一応雑誌の特集号とか入門本も出るたびに買ってしまいます。ですが、この本はめずらしく読みやすいし広い範囲をカバーしているので副読本としてはよい本だと思いました。ドゥルーズの著作自体も最近は邦訳も出揃って二周めに入りつつあるし、再読も含め時間を作って集中して読みたいと思う今日この頃です。

とフランス現代思想に浸った後に読んだ養老本の方は、一転して「日本人は無思想だ」ということがひたすら書かれている本。日本人は無宗教、と言われることはよくありますが、その思想版です。基本的に養老は日本人が無思想であることに肯定的です。無思想だから戦後を切りぬけたし、無思想だから明治維新を成し遂げた、と。そしてこの無思想こそが日本の思想であって、思想を持っていると思われる人や行動も、実際は外来思想を一時的に借りているだけで本来的には空っぽであると。これまでフランス現代思想を日本人が読み解く本を読んでいただけに完全否定された感じです。一つ一つの事例に関しては異論もあるし、強引な感じもするけれども、数学のゼロと同じ、という考え方はなるほどと思わなくもない。欧米の合理主義にどっぷり使った現代日本人が本当に養老のいうような日本人的な無思想家と言えるのかどうかわからないけど。ところがそうやって文系ぎらいの毒舌オヤジの戯言に最後までつき合うと、最後にたどり着くのはなんと「差異の肯定」。あれ?偶然にもドゥルーズとつながってしまいました。誤読かもしれませんが、要するに、ヒエラルキーの上に登るのではなく下に降りるのが力への意志であり、「同じ」の頂点に立つのではなく「違う」の中にまみれろ、と言っているように読めました。それって外来思想を使わずに外来思想を説明してるんじゃないの?というか養老の思想は無思想なんかじゃないじゃん。宗教に耐性のない人(俺とか)に宗教の話をすると「うさんくさい」と思われるのと同じように、思想を持ち出すと「うさんくさい」と思う人が多いので、俺のは思想じゃないよ、と言い張る戦略なのかなとも思えました。

カテゴリ: 読んだ本/漫画 日付:

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