京王線某駅のすぐそば、というかほとんど駅ビルのような場所にそれはあります。終電を逃したサラリーマンや夜を明かしたい学生などが夜を過ごす一日だけの借りの宿、その名も『しまむら寮』。名前からするに、もともとは学生寮だったのかもしれません。そこでは見知らぬ人同士が偶然の出会いを楽しみ、朝まで語り合うそうです。その近辺の人なら誰でも知っている有名な寮なのですが、一般的には全く知られていません。先日この『しまむら寮』に行ってきました。
言葉では説明しづらいのですが、その駅の真裏に小高い丘がありそこに埋め込まれたようにビルが立っています。改札を出てすぐ横の坂を登るとそのビルの上にでるのですが、そのビルの屋上とも丘の中腹ともとれる微妙な空間に古びた黒い木造建築があります。門の横に『しまむら寮』と書いてあるのでそれとわかります。数段の階段をあがって門の中に入ると右側の一段下がったところに寮が立っており、左側はテラスになっていました。テラスは見張らしがよく、ちょっとした展望台のようでした。まずは寮そのものの建物は歴史を感じさせる不思議なオーラをもっており、明治時代からつづくという噂もまんざらでは無いと思いました。強いて言えば(知る人は少ないと思いますが)旧広島大学薫風寮に近いと感じました。
紙に水彩
|
しかし、残念なことに(予想していたことですが)、ふれこみの『寮』としてはすでに機能していないことがすぐにわかりませした。趣のある建築物にそぐわない緑色の看板には『卓球広場』と書かれており、建物の中にはいくつかの卓球台が無造作に置かれていました。つまりこういうことです。『しまむら寮』は時代の移り変わりとともに「夜明かしの語り場」としての役目を終え、卓球所として再利用されるという形で存続を計った、と。しかもその卓球所も見る限り機能してはおらず、今はただ卓球台の置いてある展望台の休憩所といった程度です。
ここで「時代に取り残された過去の遺物」と感傷的になることも可能なのですが、あえて「ほろびゆく姿に美しさを感じた」と表現しておきます。ところで僕のブログを読んでいる人なら「あれ?」と思うところでしょうが、僕はこの日迂闊にもカメラを携帯していなかったのです。これに気づいたときは激しく後悔しました。普段どうでもいいような電柱とかをパチパチ撮っているのに、このいつなくなるかわからない貴重な建物を撮らなくてどうするのか、と。しかし後悔しても仕方ないので、帰ってから思いだしスケッチするためにとじっくりと目に焼き付けました。その成果は見てのとおりです。その時は細部まではっきりと記憶したつもりだったのですが、今はぼやっとした印象しかありません。記憶だけで絵を描くことの大変さを身に染みて実感しました。
紙に水彩
|
なぜか建物の中に入るのを後回しにし、外から眺めてばかりいました。このスケッチの2枚めと3枚目がそれぞれ寮の建物とテラスの様子ですが、これらは門からではなく一旦敷地の奥まで行って振り返ったところの様子です。先ほどの説明とは逆に建物が左、テラスが右になっているのはそのためです。建物の中には人は見当たりませんでしたが、テラスにはわりと人がいて散歩途中の親子とかカップルなんかがのんびり過ごしていました。それはそれでこの場の存在意義が全く失われているわけではないという安心感をおぼえました。
紙に水彩
|
そして最後に建物の中に恐る恐る入ってみました。卓球台はほこりだらけで使われている様子はありません。他にどこかの喫茶店から持ってきたような小汚いテーブルもいくつかありますが、これも置いてあるだけといった様子です。ふと暗がりに目を凝らすと、奥に管理人室のような畳部屋があり、そこのベッドに白髪の老婆が寝ているのが見えました。このとき全ての納得がいきました。おそらく彼女がこの寮の元々の管理人なのでしょう。そして寮が役目を終え卓球場となったあとはあまりやる気もなくなり、今はもう寝たきりでお迎えを待っているだけの状態なのでしょう。だからもうこの建物は使われておらず、彼女がいなくなれば建物も取り壊されるのでしょう。
紙に水彩
|
初めて来た『しまむら寮』ですが、おそらくこれを見るのは今日が最初で最後でしょう。長い『しまむら寮』の歴史ももうまもなく終わるでしょうから。この日ここに来て良かったと思いました。そして門に立ってもう一度眺めました。少し日が翳ってきたので建物はさらに黒く見えました。
さて、名残惜しいけど帰るか・・・と思ったところで目が覚めました。
(その後、念のためネットで調べてみましたが、もちろん『しまむら寮』は存在しませんでした。その日は意外に早起きで出勤までしばらく時間があったため、スケッチブックを開き、そばにあったボールペンで急いでラフスケッチを9枚描きました。ここに載せているのはそのラフを元にさきほど改めて描き直したものです。)