時をかけるゲド戦記、あるいはハヤオの動かない城

筒井康隆原作の『時をかける少女』。これまで何度も映像化されていますが、僕は原田知世主演・大林宣彦監督のいわゆる「大林版」しか観ていません。しかも見たのは20年前。で、今回は現在上映されている細田守監督によるアニメ版『時をかける少女』を観てきました。全国でも数カ所のみの上映と、限りなく単館上映に近い規模の公開です。ただ客の入りはものすごく、19時用の整理券が14時にはなくなるという恐ろしい状況。劇場には「立ち見」という立て札が。普通の人ならこの混雑では観るのをあきらめるでしょう。だから今観ているのはきっと普通じゃない人です(笑)。この状況はどうにかしてほしい。映画はふらっと行って観れるようじゃないと。

これまでの『時をかける少女』の映像作品で一番有名あるいは評価が高いのはおそらく「大林版」だと思いますが、今回の「細田版」は実はこの「大林版」と深いつながりがあります。どうつながっているのかはネタバレになるのでさけますが、劇場で「細田版」を観た後、DVDで「大林版」を観たら2倍楽しめました。で、この「細田版」の出来に関してですが、これがもうすばらしい。大林監督には申し訳ないのですがこっちの方が面白い。貞本義行のオタクっぽいキャラクターデザインを除けば、文句のつけようがない。久しぶりにいいアニメを観ました。もっとたくさんの人に見て欲しい。だからこそあの混雑具合をどうにかすべきです。

ちなみに「大林版」のロケ地は尾道ですが、「細田版」のロケ地はなんとうちの近所(西武新宿線沿線)。アニメなので実際そのままではないんですが、言われてみると「あ、あそこね」とかわかる場所も数カ所。

花火

花火

Canon EOS 20D | EF24-85mm | 50mm(換算78mm)付近 | 1.6s | F16 | ISO400 |

※写真と本文は関係ありません。

で、話題の『ゲド戦記』です。この作品、混雑具合では『時をかける少女』と張り合っていますが、中身はまあ、特筆すべき点は特に見あたりません。僕は宮崎駿(以下駿)のファンではないので駿にくらべて云々という気は毛頭無いし、むしろ宮崎吾朗(以下吾朗)は吾朗の作品を作ればいいと思っています。なのですが、吾朗は駿そっくりな映画を作った。もちろん劣化コピーであるのは否めないし、シロウトなんだからアラもありますが、とにかく方向性としてはオリジナリティを出したのではなく伝統を守ったと言えます。この作品は駿不在でどれだけ駿テイストが出せるのかの実験作ではないのか?とも思えます。そう考えるならばこの作品は成功といえるでしょう。もしクレジットだけ「宮崎駿」と書かれていたら一般人の多くをダマせるくらいには駿テイストが出ていたと思います。しかし、だからといってそれがどうしたというのでしょう。とくに目新しさもなく、他の監督に駿テイストが出せたからといってそれでジブリは一体これからどうしたいのでしょうか!? もちろん「駿テイスト」なんていう言葉は僕がいま思いついただけでそんなものが定義されているわけではありませんが、世間的に「あ、宮崎駿だ!」と思うあの絵柄、という共通感覚はあるだろうと思います。数あるジブリ作品の中でも実際にヒットしているのはそのテイストを持った作品だけですから、駿ヌキで駿テイストが出せるかどうかはジブリにとっては重要なハズです。実際にはそのテイストは駿のオリジナルなんかではなく、大工原章、森康二、大塚康夫といった東映動画の大御所たちが作り上げた伝統のテイストで、それをみんなが勝手に駿のものだと思っているだけなんですが。

僕はもともと『ゲド戦記』には期待していませんでしたが、それでも観に行った理由はこれがジブリの転換点になるだろうと思ったからです。僕たちは歴史に参加しているのですから、歴史の転換点だと思った場所には積極的に立ってみるべきなのです。吾朗が今後もジブリの監督として活動するのか、それともこれ一回限りなのかはわかりません。が、いずれにしても『もののけ姫』以降いつ終わっても良かったジブリがここまでつづいてきて、息子まで引っ張り出してこの程度の作品で100億規模の興行収入をたたき出すという異常な状況。これで終わるのか続けるのか、続けるならどう続けるのか、スタジオジブリは今どこかに向かって曲がり角を曲がったハズです。

ところで、ここでなぜ『時をかける少女』と『ゲド戦記』を併記しているのか。細田守の経歴を知っている人ならばわかると思いますが、知らない人のために書いておきます。

たとえば、宮崎駿が『ワンピース』の監督をやったら、面白い作品ができるでしょうか? 僕にはそうは思えません。少なくとも『オマツリ男爵と秘密の島』を超える作品にはならないだろうと思います。では逆に細田守が『ハウルの動く城』を監督したらどうでしょう? 考えただけでわくわくします。知ってる人には蛇足になりますが、細田守はかつて『ハウルの動く城』の監督だった人です。制作半ばで追い出され、監督は宮崎駿に変更されました。そこで何があったのかは当事者しかわかりませんが、わかっていることはジブリ側からの依頼であったにもかかわらずジブリは細田守を監督として認めなかったという事実。しかし『ゲド戦記』の宮崎吾朗は認められた。細田守はダメだけど宮崎吾朗はOKと判断したジブリの意図は!? 後継者問題が深刻化しているスタジオジブリの、これが回答だと思っていいのでしょうか?

もちろん『ゲド戦記』は売れています。興行収入は『時をかける少女』の10倍か100倍くらいはいくでしょう。しかし作品の面白さは『時をかける少女』の方が少なく見積もっても10倍は面白い。日本はアニメ大国だ、アニメは日本の誇るべき文化だ、と今では政府までもが声を大にしますが、しかしここではっきり言わなければなりません。『ゲド戦記』の方が『時をかける少女』よりも評価されるような、そんなうそっぱちな文化を僕らは守る必要なんかない。あえてわかりやすく言えば、日本のアニメ文化を守るなら『ゲド戦記』ではなく『時をかける少女』を観るべきです。だから『ゲド戦記』の上映館数を1割減らしてほしい。たったそれだけで『時をかける少女』の上映館数が10倍に増やせるんだから。それでみんなが見に行ける。
僕たちは歴史に参加しているのです。いい映画を観ましょうよ。以上。

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