[シリーズ] IT系エンジニアの俺が哲学を読んでみた 13 of 13
マルクス・アウレリウス・アントニヌス。ローマ帝国の皇帝にしてストア派哲学者。しかも、皇帝としては歴代ローマ皇帝の中でも著しく評価の高い「五賢帝」の1人に数えられ、哲学者としても現代まで読み継がれている数少ないストア派哲学書の著者である。プラトンが『国家』で夢として描いた「哲学者が統治する理想国家」をある意味実現した人。こう聞くと「圧倒的じゃないか!」と思える。しかし。
マルクス・アウレリウスの主著『自省録』、一読して幻滅。これはただの自己啓発書だ。座右の銘とかが大好きな、「哲学」を世俗的な人生論としてとらえてるような人が好きそうな本だ。
いや1900年前に自己啓発書の元ネタになるような本を書いたのはスゴいと思う。現代の書店の自己啓発コーナーやビジネス書の成功哲学コーナーにおいてある本なんてここに書かれてることを薄めて広げてるだけだし、たまたま成功しただけの聞いたこともない会社の社長の格言なんかよりも、ローマ皇帝の生の言葉の方がはるかに重い。だけれども、これが「哲学」に対する間違った印象を広めた諸悪の根源なんじゃないか、といっても良いくらい、この著作の中では何も哲学していない。
ここでは、ストア派哲学を学んだ者がそれを自分に適用しようとして悪連苦闘している様子が描かれている。これを読んでいるとマルクスが世界をどのように見ていたのかはよくわかる。けれども、なぜ「それが真理である」と考えているのかについてはは全く触れられておらず、哲学に必要な先達に対する批判的検討がなされていない(単なる批判についてはソフィストに対してなされているが)。そういう意味ではこれは思索を深める哲学書ではなく、ストア教信者によるストア派思想実践本、あるいは懺悔本といったものに近い。
しかも、読めば読むほどに、そこに言及されている思想の内容とは裏腹に、自分が苦しんでいること、怒っていること、欲望に惹かれていることの独白になっている。基本的には「怒ることに意味などない。すべては自然だ。善悪など存在しない」と繰り返し(100回ほど?)書かれているだけの本であるが、これを読めば内心マルクスがどれだけ怒っていたのかがよくわかる。元々出版予定の書ではなく自分用に書いたものであるという触れ込みだが、世に出してしまったことで、言ってることとやってることが全く逆、という矛盾が生まれてしまっている。「悩む必要などない」と言いながら悩み続けていることを告白しつづける、ストア派としては敗北の書である。それはとても痛々しいが、とても共感できる。すべての孤独な政治家や経営者にぜひ通読をおすすめしたいほどだ。
けれども、ストア派哲学の文献を読みたい、と思って手に取ると幻滅する。ストア派の思想を知りたいのであれば、マルクスが書いていることの受け売りの元ネタを読まなければならない。
そういえば、エピクロスについて何度か言及され、引用もされているがあまり批判的なニュアンスはない。教科書ではストア派とエピクロス派は対極にある思想であるかのように書かれているが、この時代にはそれほどでもなかったのだろうか。逆に、ソフィスト(これも世俗的解釈の上でだと思うが)に対してはとても批判的である。
今回読んだのは講談社学術文庫版(鈴木照雄訳)だが、これ以外にも岩波新書版(神谷美恵子訳)もある。どちらを読むかは書店で比較してみたが、岩波文庫版の方がふんわりしているように思えたので、講談社学術文庫版にした。
最後に一文だけ引用する。
だけど、五賢帝はマルクス・アウレリウスで終幕した。
現在、数年前に読了したプラトン『国家』をまとめようと思いつつ挫折していて、それとは別にアリストテレス『ニコマコス倫理学』を読んでいるところ。さらに、本書のネタ元だと思われる、エピクテトス『語録』も読んでみたい。