ネット上で、
というマイク・マクマナスさんという人の言葉が流れてきた。俺はこの人を知らないし、その本意はよくわからないけれども、この言葉を好きな人やこの言葉を使う人の心理は良くわかる。こういう「自己啓発的な言葉」は今となっては「自分を鍛えるためのツール」ではなく「反省せずに自己正当化するためのツール」に成り下がっている。
だから俺はこれに反論する。
俺の答え:言えません
たしかに「やりたいことをやるべきだ」という意見は、一見ニュートラルな正論を言っているように見える。でもこれは、誰が誰に言っているのかによって意味が180度変わる。踏み出そうとする人が自分をふるいたたせるために言うのならわかる。しかし逃げ出す人がその言い訳として言うのならそんなものは糞だ。そして、この言葉を使う人はほとんどが後者だ。
だから、俺はこう言い換える。
だよね?
だよ。加えていうなら、
ということです。
もちろんマイクさん(くり返すが誰なのか知らない)の言ってることは「責任というのは義務だけを指すものじゃないよ、権利を行使するのも責任だよ」という、人生を豊かにするための「発想の転換」であって、確信犯としてこう言っているのだということは理解できる。でも、どう行動すべきかはその時々でいろいろあるにせよ、やっぱり「わがままはどこまで行ってもわがままであって、それは責任ある行動ではない」と言うしかない。定義のすり替えで自己正当化するのは欺瞞だし、それでは人は幸せにならないと思う。たとえその人自身は楽になったとしても社会全体はより苦しくなるよ。
やはり、悩める人が頼るべきは、自己啓発ではなく哲学だ(「宗教じゃなく科学だ」でもいい)とあらためて思った。