正月の写真の最後は、熊本城です。
熊本城も損壊がひどく、入れる箇所は限られています。というか、門の中には一切入れません。
ここで熊本城を知らない人もいると思うので、その仕組みを簡単に説明します。熊本城というのは、広義には熊本市の中心街のそばにある、東京で言うと皇居(=江戸城)の半分くらいの広さの石垣エリアのことです。美術館やら病院やら博物館やらがその中に入っています。「熊本城は閉鎖されていて入場はできません」という時の熊本城はその中でも天守や本丸御殿などがある中心部の狭い範囲の話で、実際にはその外側のかなり広い範囲には入ることができます。
で、熊本城のメインは建物ではなく、その周りにある加藤清正が築いた石垣です。この石垣が、石垣なのにすごい曲線美なんですね。その石垣に四方八方を囲まれた空間が熊本城です(これも写真ではわからないので行ったことない人は一度行ってみることをおすすめします)。
で、建物の方ですが、通常「熊本城」と称してテレビなどで写っているあれ、震災後は瓦が落ちた様子などが映し出されていたあの建物ですが、これも知らない人のために言っておくと、あれ(大天守と小天守)はダミーです。最悪壊れてもそんなに問題はありません(修復予算の問題はありますが)。本命はその後ろに控えているやつです。
上の写真は熊本城の天守を裏側から撮った写真です。この写真で右奥にあるのが大天守、左奥にあるのが小天守です。この2つがテレビや写真などに通常出てくる熊本城の表の顔です。では手前真ん中(つまり本来の正面からいうと裏側)にあるのは何か? これが本命の「宇土櫓」です。櫓っていうのは荷物置き場って意味ですが、この宇土櫓は通常の城の天守と同等かそれ以上の規模の大きな建造物で、実質的な「第三の天守」であり、しかも大天守や小天守と違い、西南戦争で焼け落ちずに残っている、安土桃山時代建造(完成は江戸時代初期)の建物なのです。これが熊本城のラスボスだと思っていていただいてかまいません。こいつが無事である限り、大天守小天守が落ちたとしても熊本城は陥落したとは言えません。なお、この角度からだと石垣が崩れて危うそうに見えますが、この石垣は手前にある別のもので、城の土台になっているわけではありません。
別の角度から見ると、こんな感じです。よく見るとヒビが入っていたり壁が剥がれている箇所がありますが、このまま崩れるようなことはなさそうです。
以上、正月の写真でした。