僕の写真遍歴2 – 中学時代

中学に入ってからも基本的には小学生のころと変わらず、祖父のOLYMPUS XAをときどき借りていました。ときどき借りると言っても、家族でどこかに行くときに念のために持っていく(そして実際そんなに撮らない)程度のことで、写真に特別な興味を持つわけでもありませんでした。

新宿スナップ
2009/01/24 新宿
PENTAX SuperA | smc-M50/1.7 | FUJIFILM Superia X-TRA 400

ただ、中学時代には初めて(しかも一度だけ)一眼レフを触ったのを覚えています。正確には時期を覚えていないのですが、おそらく中学2~3年くらいの、もう十分生意気なw頃です。


なんちゃって一眼デビュー
この頃の僕はオーディオや無線機などの電気製品にはすでにかなり詳しく、自作ケーブルのハンダ付けをやったり、アンプの設計図を引いたりしていたし、アマチュア無線の免許も持っていたので(当時は携帯電話どころかコードレス電話もない時代)中学生に考えられるレベルとしては最先端の技術を手にしていたと思います。

ところがカメラに関してはとくに知識は変わらず、一眼レフというのがバカ○ョンカメラと別にある、というのは知っていても使い方などはさっぱり知りませんでした。

そんなある日、父が「ズームレンズを買った」というので居間でカメラを手にしていました。そもそもうちではカメラと言えば借り物のOLYMPUS XAだったので、一眼レフがあったことさえそれまでの記憶にはありませんでした。いや正確には「あることは知ってたけど、使われているシーンが思い出せない」と行った感じで、父の書斎に飾られているカメラ、という印象しかありませんでした。

そのカメラに新しく買ったズームレンズが付いていました。当時の僕は、新しく買ったも何も前のレンズがどうなのかとかズームのなんたるかもよく分からないので「ふーんだから何?」程度の興味で話を聞いていたのですが、父から「撮ってみるか?」と言われてドキッとしました。まさか一眼レフを自分が使うということは全く想定していなかったからです。
snap_mott_20092311314.png
そのカメラはアサヒペンタックスSP。史上もっとも売れた一眼レフカメラの一つで、1960年代に発売されたものであるにも関わらず、この頃(1980年代半ば)はもちろん、2009年現在でも大量に現役で動いていますし、中古カメラ屋にいけば小さな店でもかならず置いてあります。「真ん中に三角屋根があって、ここを覗いて、ここを巻いて、ここを押す、ふたを開けるときはこうする」という一眼レフのスタンダードを築いたのはまちがいなくこのペンタックスSPでしょう。

父から手渡されたSPを恐る恐る手にして、見よう見まねでピントを合わせます。当時は眼鏡をかけていませんでしたがすでに視力は0.5程度だったのできっちりピントを合わせるのには苦労したと思います。父が「今入っているフィルムはリバーサルだからなぁ・・・」と言っていましたが、リバーサルだからなんなのか語尾があいまいでよく分からず(今考えると「露出が難しいぞ」「高いから無駄に撮るな」「プリントするものじゃないよ」かのどれかだったのでしょう)、説明されてもどのみち分からないので、数メートル先にいる父にピントを合わせて適当にシャッターを切りました。後日現像されたものを(ダイレクトプリント)見ましたが、多少くらいものの一応撮れていました。適当に撮ったのに写ってるってことは、このたくさんある謎のダイアルはいらないんじゃないか? と子供心に思ったものです。

mott/20090203_sr0010793.jpg

↑何を隠そう現役で使ってます(のちに買い直した同機種)。

父がその時買ったズームレンズはTokinaの28-70mm。元々ついていたレンズはSP購入時の付属レンズで、その時は50mmだと思っていましたが、記憶と現在の知識を照らし合わせるとSuper-Takumar 55mm/F1.8だったのではないかと思います。

この時は一度さわっただけで終わりましたが、このアサヒペンタックスSPをそれなりに使いこなせるようになり、これを持って世界を巡る時がのちに訪れることになります。その話はまたそのうち。

時代背景

僕の中学時代は80年代前半。音楽はレコード(アナログ盤のこと)で聴くもので、レンタルレコード屋がたくさんあった。CDはカタログには載っているけど使ってる人を見たことがない。ビデオデッキは普及途上でベータとVHSが半々のシェア。そんな時代です。
読んでもらえばわかるように、この頃は写真などにはとくに興味はなく、当時の僕の興味の中心はもう圧倒的に
YMOガンダムチャリ釣り
でした。そう、当時の僕は、誤解を恐れずに言えば、
 今 と 同 じ
なのです。今週末は、自転車に乗って伊豆に釣りに行き、帰ったら先日買ったYMOのロンドン公演CDを聴いたり、ガンダムOOを観たりするわけですが、この週末のすごし方は中学生の頃の週末のすごし方とほとんど変わらないのです。YMOがHASYMOになり、ΖガンダムがガンダムOOになり、カガワの自転車がアラヤの自転車になり、天草が伊豆になっただけの話です。

じゃあ本当にずっと変わってないのか、というとそういうわけでもなく、色々あったけど最近またここに戻ってきた、というわけです。その辺はあまり写真遍歴と関係ないので、「僕のチャリ遍歴」とか「僕のガンダム遍歴」として書くこともあるかもしれませんし、ないかもしれません。
では次回はいよいよ高校時代です。

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