僕の写真遍歴3 – 高校時代

ここまで読んでくれた人にはわかると思いますが、実は中学生までの僕は別に「写真遍歴」というほど写真を撮ってもいなければ興味を持っていたわけでもありません。基本的には僕は今の平均的な人ほど写真を撮ってこなかったし、撮られてもきませんでした。

今日は高校時代の話です。僕が「ちゃんと写真を撮っていた」と言えるのは、ここ数年をのぞけば、この高校時代だけです。

シモキタタソガレ
2009/01/24 下北沢
PENTAX SuperA | smc-M50/1.7 | FUJIFILM Superia X-TRA 400


写真部という選択
高校では僕は美術部員でした。高校の美術部というのは、どこでも似たようなもんだと思いますが、美大受験のためにデッサンや制作にいそしむ部員と、今週のガンダムがどうだの、オタクの定義はこうあるべきだのとくだらないことをくっ喋ってばかりで何の制作もしない部員の二種類に分かれます。僕がどっちだったのかはあえて書きませんが、この時のおかげで今でもなんとか絵が「描けないこともない」わけなので、若いときは色々やっておくものだなぁ、としみじみ思います。

当時僕が描いた絵を見て父が酷評したのを覚えていますが、先日聞いてみたら、とうの父は僕が美術部だったことすら覚えていませんでした。まぁ、そんなもんです。

で、その高校時代、ちょっと真面目な話になりますが、決して楽しくはありませんでした。箱庭のような学園で無駄な時間を浪費しているだけの日々。先生も生徒も中途半端な意識で適当なことを言ってるだけに感じられ、「こんなことをしているのは時間がもったいない」という気持ちで、とても苦痛でした。

そしてこの無駄な時間をどう活用するか、ということでの試行錯誤の結果、美術部に入り、そしてそこに出入りしていた写真部の人たちとも知り合い、写真部に入りました(その後文芸部にも入りましたし、あと少しで演劇部にも入るところでした)。今振り返ってみても、無駄な時間を活用することで無駄な時間がなくなるわけではないんだ、と思います。が、無駄な時間のわりにはいろいろやったと思います。

写真部に行ってみると部員はたいてい自分のカメラを持っていました。みんないいカメラを持っていてCanon T70などの他、自動でピント合わせができるという画期的な(今ではあたりまえですが)MINOLTA α7000なんてのを持ってる人もいました。僕は自分のカメラを持っていなかったので、部の備品のペンタックスを借りて使っていました。

(このカメラを紹介しようかと思ったんですが、それが何という機種であったかが、実は今となってはわからないのです。PENTAXなのは間違いないんですが、いろんなサイトを見ても「これだ!」というものが見つかりません。絞り優先とマニュアルが使えたのは間違いなく、他にシャッター優先もできたと記憶しています。ファインダー内の露出系はLED式。しかしそれを満たすカメラが1986年時点のPENTAXにはどうやらないようなんです。きっとシャッター優先ができたというのは記憶違いなのでしょう。だとするとProgramAあたりかもしれません。)

暗室作業は手で覚える

僕は暗室作業のすべてをここで覚えました。これは僕にとって非常に大きな経験となりました。露出やレンズについてはインターネットがある今なら独学でもなんとかなるものですが、暗室作業の独学は難しい。社会人になって時間もお金も余裕ができて写真にハマってるという人も、ここで足止めになっている人が多いようです。現像やプリントを自分でやってみたいけど、手本なしではハードルが高い、と。暗室では本やネットも見れないわけですしね。僕の場合はこの時写真部で一通りやっていたおかげで(15年以上のブランクがあってさえ)手がちゃんと覚えていて、すぐに台所暗室が実現できました。

興味ある人はモノクロ現像についても読んでみてください。

当時写真部で使っていたフィルムはフジのプレストかネオパンSS、コダックのTriX。T-MAXは当時ノウハウが少なかったせいか専用デベロッパが高価だったせいかわかりませんがあまり使われていませんでした。現像液はSPDかD76、定着液はフジフィックス一択でした。これで現像を覚えたので、今でもだいたい同じものを使っています。

写真部では、もちろん暗室作業だけではなく露出と被写界深度の関係とか、画角と足の使い方、フィルターの効果などの技術的なことも大体ここで会得したと思います。

高校の写真部というと撮るものはだいたい決まっていて、運動会や高体連などのスポーツイベントものか、クラスメートのだれかに頼まれて撮るもの(いろんな意味で)、あとはしょうもない写真部の部室のスナップなどです。どのくらい撮ったか覚えていませんが、部費で買った長巻きフィルムは使い放題だった(たしか)ので、バンバン撮っていたと思います。そういえば文化祭前などは休みの日も写真部のフィルムで撮っていたような気がします。

ただ、不思議なことに、この頃のネガやプリントがその後どうなったのかさっぱり覚えていません。部室に置きっぱなしで卒業したのか、持ち帰ったのか。文化祭で展示したものはたいていだれかが「終わったらちょうだい」と言ってきたのであげてたと思いますが、高文連か何かで入選した写真などは半切くらいに引き伸ばしてパネル張りしたのがあるハズですが、そういうのもその後見た覚えがありません。一体その後どうしたんでしょう? このときもやはり「見るよりも撮るのが好き」だったのかもしれません。今見ると面白いんでしょうけどね。

ところで、当時の視力は片目で0.5以下。まだ眼鏡はかけておらず授業中の黒板もろくに見えない状態でした。ピント合わせは大変で、ズームを再望遠にしてからピントを合わせ、画角を戻す、という手順。この方法はいくつか問題があります。ズームリング式のズームレンズでなければならない、ズーム時にピントが変わらない構造でなければならない、動かない被写体でなければならない、などなど。ところがこれでスポーツを撮っていたんですね。不思議と。若いうちは頑張ればなんとかなる、ということですね。

カメラの違いがわかってくる

カメラについてですが、その後写真部員が増えしかも後輩が多くなるにつれ、備品のペンタックスはなかなか使えなくなってきたので、母方の祖母から借りたCanon T50を使うようになりました(ちなみにXA2の時は祖父から借りた、と書き、T50は祖母から借りた、と書きましたが、実際にはどちらから手渡されたのか程度の違いしかなく深い意味はありません)。念願のマイカメラということで早速視度補正レンズをつけてピントを合わせやすくしました。このT50は当時は新しめのカメラですが、ピント以外はフルオートの押すだけカメラ。残念ながら写真を勉強するにはあまりいい機種でとは言えませんでしたが、カメラがないと写真が撮れないので仕方ありません。実際これで撮った写真が入賞しているのですからそれでいいのだ、ということにしておきましょうなお、このカメラはたしか高校卒業前後に祖母に返してそれっきりだと思います。

それから「写真を撮っている」という話を聞いて、今度は父方の祖母が持ち出してきたのがOLYMPUS PEN EE2。これまた当時(80年代末)でもすでに骨董品クラスのオールドカメラですが、むしろデジタル時代の今の方が再評価されているカメラではないでしょうか。「○×日和」的な写真を撮る人の間では定番ですね。このカメラはもらってすぐにフィルム1本試写したくらいで押入れの奥に眠り、数年埋もれていました。日の目を見るのはずっと先のことです。その話はまた今後。

こうやっていろんなカメラに触れていくにつれ、写真とカメラの関係が少しずつわかってきます。どんなカメラでも写真は撮れるけど、撮りたい写真を撮るにはカメラを選ばなければならない。自分が求めているカメラの形が少しずつ見えてきた17歳のあの日。もらい物や借り物ばかりでなく、自分で選んだカメラで撮りたい、という欲求がつのりますが残念ながらその頃はまだカタログを見てよだれを垂らすしかありませんでした。

そのころ欲しかったのは忘れもしない、登場したばかりの初代EOS「EOS650」。まぁ僕だけじゃなくて当時はみんなこれが欲しかったんですけど。

そんなこんなで、高校2年から始め、正味1年半の写真部活動が終わるのです。

時代背景

80年代後半というのは俗に言うバブルの時代です。しかしバブルと呼ばれるのはバブルが崩壊した後の話ですから当然当時は「今はバブルの真っ最中だぜ!」と思っているわけではありません。いずれにしても田舎の高校生にはほとんど関係ないことですが。

ただ、世の中の景気とは逆に、文化的にはつまらない時代に入っているのを実感しました。YMOの代わりにTMネットワークが、ガンダムの代わりにジブリが台頭します。時代に取り残されていくというか、自分と時代が分離していく感覚を味わいました。これ以降、自分の文化的嗜好がマジョリティであると思うことはなくなりました。この経験から「80年代は差異化の時代」という時代解説に対しては常に疑問符をつけざるを得ませんでした。みんながコムロ、みんながジブリという全体主義もまた80年代に始まったんだよ、と。

個人的にも、中学時代の興味の中心だった「釣り、自転車、無線」のいずれとも高校時代にはめぐり合わせが悪いというかタイミングが合わないというか、次第に離れていきました。前にもちょっと書きましたが高校時代はやはりいろんなことがうまくいっていなかったと思います。

代わりに中学時代の友人と一緒にミニFM局を運営したり、ラジオドラマを作ったりというあたらしい試行錯誤はやっていました。これはこれで面白かったし、ミックスなどの録音技術の基礎に関してもここでいつの間にか会得していきました。そういうものが今の糧になってるといえばなっているわけですからやはり若いときは色々やっておくものだなぁ(あ、それさっきも書いたぞw)、という風に締めくくりたいと思います。

1 thought on “僕の写真遍歴3 – 高校時代

  1. senda

    T50ですか!?
    ぼくの初一眼は キャノンAE-1で、その前にpen EED3があり、そのカメラは小学校から使っていました。

    返信

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